追悼:野尻泰煌先生

出会いは奥様が亡くなられた年と記憶している。副代表鳳煌氏の紹介であった。すごい人がいるから是非にと勧められ、幾度かの誘いの後に伺う事となる。大作を書かれている様子を拝見し「ただならぬものを見ている」と直感。撮影に通い詰めるようになる。作品に向かわれる姿に寄り添ううち、刻々と変化していく紙上の墨形にすっかり魅入られたように思う。

「書かないとわからない」という言葉に押され弟子になるも、長い年月筆を取ることのない私に、辛抱強く粘り強く、ご指導、お付き合いを頂いた。いつ電話しても、少し微笑みを含んだ声で「はい、待ってます」とお返し下さる。さっぱりした氣の明るい方だった。老子そのもののお人だった。唐代を活動の基にすえ、安土桃山の文物を愛で、明治の気骨を身の内に育まれた。また、伊福部昭先生を道標とされた。「師と弟子は親子より縁が深い」そう仰られた事も思い出す。希代の才華と直に接する事が出来た幸運な時間だった。

五反野教室での書作撮影を終え、駅にほど近い居酒屋に立ち寄ったときの事。薄暗い店内、ビールを傾けながら亡妻の話をされていると突然、落涙し一言。「彼女の才能が失われたことが悲しい。私の虎の子だったんだよ」。当時はその直截な言葉に戸惑ったが、今ならよくわかる。

残された作品は、他の何物にも換え難い。平面から突出して来る迫真力は、古典から外れぬ揺るぎない構造と、紙の白と墨黒の均衡から生み出される。一画一画は強い張りがありながら、柔らかく、微細な変化をともなう。自身曰く「真綿で包んだような線」。色彩が見えてくる。生命の輝きを内包する制御を効かせた自在さ。無意識裡になされるが故の自然感。晩年は、自分は書家に留まらない、「藝術家」なのではないかと呟かれていた。

記憶に残る言葉をいくつか記しておきたいと思う。

兆しに生きる。因が起こった時は遅い。

認識に生きる。紅い花は紅い花のまま。綺麗とかなんとか言うけど、そのまま見ればよい。

観念を捨てる。捨てようとする意識も捨てる。どうやって?ただうっちゃればよい。

是。ありのままを受け入れる。あるはあるなりに、ないはないなりに。

中庸。メトロノームは大きく振れると遅い、中心で揺れると速い。

自分を数に入れない。

ただ書けばよい。書きがたりないよ。  合掌

松里 寶山

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