訃報:作家活動の師

私が初めて師に出会い撮影した写真が最後のお別れに使われました。因果の不思議を感じます。

私は「遺影はどうするのだろう?」とふと思い立ち、当時のプリントの小さい方を探し出しました。16日帰宅した弟(松里鳳煌)に尋ねると「この存在忘れてたわ! ありがとう。候補に使わせてもらうよ」と言いました。翌日には近年の写真も含め遺影の候補を7点選び送信したようで、故人の高校時代のご親友に選択を委ねたそうです。最終的に遺影は2枚ご掲示いただけることになり、両方とも当時撮影した私の写真です。

スタンドにおかれた写真(本記事扉)は、師が最も気に入っていた写真だそうで、弟が言うには、先生が『自分の写真をこういうのもおかしいけど、格好いいよね。自分じゃないみたい』と仰っしゃったそうで、十年以上経て再び目にする機会があると『自分がもしもの時は遺影につかって欲しいな~。当分先だけど。何せ百五歳までは生きるから』と笑っていたそうです。これも弟から言われ知ったのですが、この写真は奥様である君江さんが亡くなられた年の書道展。第十二回泰永書展~石丸茹園追悼展~の宣材写真にも使用されたものだそうです。

師は被写体としてのライフワークでした。美苑という屋号も先生が授けてくれました。私の浩義という名前も、息子の名前も先生の命名です。細君も弟子になり家族総出でお世話になりました。夫婦を救ってくれました。家族を救ってくれました。生きる道を示してくれました。作家活動のなんたるかを教えてくれました。まだまだ聞きたいことが沢山ありました。

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